2006年12月31日 (日)

●よく見る同じ夢  2006.12.31

         おとなのコラムに投稿しました

2006.12.31

●よく見る同じ夢  すずきみゆき

音楽家のみなさん!! 楽器が壊れる夢、しかも同じ夢って見ませんか?

「今日の予定は?」とスケジュールを見ていると今日が本番だった事に気付いたりする。
あわてて会場に駆けつけると既に本番の時間になっているんだな。着替えの時間もなくすぐステージに飛んで行く。当然、普段着で弾く事に…
クラシックなのにこんな格好でいいのだろうか?という思いが一寸だけ脳裏をかすめるが、夢だからそのまま弾けてしまうんだなこれが。
ホールのキャパは200〜300席くらいだったりする。
どういう類いのコンサートなのか解らないまま、私は薄暗い客席に向かってお辞儀をする。すごい拍手だ。
なぜか弾く曲はベートーヴェンの月光ソナタなのだ。

ここで本代、いや本題だ。
弾いているとピアノの鍵盤がボヨヨヨ〜ンと外れる。現実ならありえない出来事に緊張もぶっ飛んっでしまう。
おや? おやおや? と思いつつもメゲズに弾き続けると、次々と鍵盤が外れ、音が出なくなってしまう。 それなのに何故だ! 何故だ!!!
お客は何故そんな事に反応せずに聴いているのだ。 私の幻覚なのか? 乱視が、難聴が進んだせいなのか?
いや、私の気のせいかもしれないので懸命に弾き続けるしかない!!


どのくらい弾いたのだろうか? 月光ソナタがいつの間にか即興演奏になっている。
あ〜〜!すっかり長引いてしまった。そろそろ終わりにしなくては。。。

私は作曲家だ♪ だから好きな所でちゃんと終わらせられるのだ。
よし!ここだ! ここで終わらせるぞ! という所で目が覚めるんだなこれが。

喉はカラカラに乾いているし、夢と解った時の安堵感は文字には表せない程だ。
でも夢を見た日は、いつになくサッと床を離れピアノに向かう。

さて、語調をもとに戻そう・・・ぼよよ〜〜ん(独り言)・・・

私の場合、練習に対する焦りが夢を見させるらしいです。大きい本番が終わるとこんな夢はいっこうに見なくなります。 まあ、近年は悠々自適な生活をしていますし(お金はないが…)、充分に練習しているので?そんな夢はいっこうに見なくなりました。
えと、歳をとって鈍くなっただけ、という説もありますが。(爆)

音楽家のみなさん、お互いに大変な職業を選んだものですね。でも、健康管理だけはキチンとしましょう。なんと言っても体が資本ですから。

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2006年12月12日 (火)

◇ 短歌  2006.12.12

2006.12.12

◇ ここからは独りで行くよ
   何があるか分からない道だから  すずきみゆき

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2006年12月 6日 (水)

詞【暦(こよみ)】  2006.12.6

2006.12.6

【暦(こよみ)】  詞:すずきみゆき

 
今年の暦は全て捨てた      私にはもう「今」はない

今年の日記もぜんぶ捨てた    今は空白を生きるだけ

生きた日々と 生きるであろう日々を 繋ぐトンネルの

眩しさに思わず目を瞑る     もう私には未来しかない

いつだったか貴方と巡り会い   いつだったか夢語りあった

なにものにも代え難い貴方を知り 愛し合ったよね

二人半の時間もっと長く過ごして 新しい暦めくる筈だった

頬を伝う一筋の流れ拭って    未来だけの二人を生きよう

来る年の暦かざって       ピカピカに磨いた窓

新しい日記はもう書かないけど  ぜったい忘れないでいようね

生きた日々と 生きるであろう日々を 繋ぐトンネルの

眩しさに思わず目を瞑る     もう二人には未来しかない

もう二人には未来しかない    ラララ・・・

もう二人には未来しかない    ラララ・・・

もう二人には未来しかないのさ

********************************

これから曲を書くので、多分直すと思うけど、一応UPしておきます。

                           みゆき

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2006年12月 5日 (火)

詩【日課】  2006.12.5

2006.12.5

【日課】  すずきみゆき

心臓の調子がいいと、ベランダに出てみたくなります
ベランダに立つと洗濯をしたくなります
洗濯機をまわしていると片付けたくなります
片付けると掃除をしたくなります
掃除をするとピアノを弾きたくなります
ピアノを弾き終わると、洗濯が上がっています
洗濯を干すと窓を開けたくなります
窓を開けると作曲をしたくなります
作曲をすると直ぐに日が暮れます
日が暮れると生徒がレッスンに来ます
生徒がレッスンに来ると何だか元気が出てきます
元気が出ると熱心に教えます
熱心に教えると生徒が上手になります
生徒が上手になると心が豊かになります
心が豊かになると笑顔が絶えません
だから毎日良い夢を見ながら眠っています
きっと明日も絶好調です!

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2006年12月 1日 (金)

●振り子のメトロノーム  2006.12.1

2006.12.1

●振り子のメトロノーム  すずきみゆき

舞台人は皆さんそうですが、本人が死なない限り舞台に穴を空ける事は許されないんですよね。
私たちは実際そうしなければ仕事になりませんからね。

でもね、考えてみたら生き物は皆そうなのではないでしょうか?
生まれてから死ぬまで誰でも人生一度きりです。本人が死なない限り人生に穴を空ける訳にはいかないんですよね。

ゼンマイが緩むまで揺れ続ける振り子のメトロノームの音を聞く度、生きるってそういう事なんだなって思います。

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2006年11月30日 (木)

●私の誇り  2006.11.30

2006.11.30

●私の誇り  すずきみゆき

自分自身と向き合い、自分と言うものを理解していかないと出来ないものがたくさんあります。

作曲などの創作活動もその一つです。創作は作品の上手い下手を乗り越えたところにある"自分らしさ"を表現できるのが究極の喜びですが、自分を見つめながら創り、創りながら自分を発見するのは、正に生きる事そのものだと思います。

また、私はどのような暮らしの中にでもきっと発見があると思うのですね。それが生きる事の面白さなのだと思います。そして、素の自分を最も大切にできるのは自分自身でありたいですね。
これが私の誇りです。

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2006年11月24日 (金)

◆ 自由律俳句  2006年11月

くたびれました。

先月の話ですが・・・
つれあいの買ったばかりのパソコン(中古)が途中で起動しなくなったので店に電話したら取り替えて下さったのですが、その取り替えてもらったパソコンも翌日起動しなくなってしまいました。

そこで、こちらに問題があるのだと思い再び店に電話したところ、また送り返してくれと言います。
しかし、むこうでは起動するのだそうです。
そこで、私たちがインストールしたソフトに問題がないかどうか調べてもらうためにデータを送りました。が、問題ありませんでした。

結局、新しい機種のパソコンに対して我が家の古いディスプレーの出力が小さいという事らしく、新しくディスプレーを買って無事に起動しました。
初めての時は私の隣で見ていた夫も、2回目と3回目のセッティングは全て自分でやってくれましたので、私は安心して仕事が出来る筈だったのですが…


なんと!私のパソコンまで!

と言いますか、私が寝不足でボ~ッとした状態でパソコンをいじり、捨ててはいけない何かを捨てたのではないかとしか考えられないのですが、再インストールが必要になってしまいました。

設定を変えたくないので上書きしたのですが、かえってゴチャゴチャになって作業中にクラッシュしてしまいました。仕方がないので、また上書きし て、すっかり重くなったハードディスクからソ~ッと仕事のファイルと重要なファイルだけをCDに焼き付け救い出してから、ハードディスクを初期化してまっ さらにし、新しくシステムをインストールしました。

ここのところ、そんな訳で3日ほど寝ずに仕事していました。
終わったので、少し休んでから夕方はホールに打ち合わせに行ってきます。

ここで一句

2006.11.18

◆ 古い道具買い替えてまだ働く      すずきみゆき

2007.11.24

一人三脚の足跡ふり返る木枯らしの道  すずきみゆき

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2006年11月19日 (日)

手を振って歩けば手を振って影ついてくる  久光良一

そうか! 胸をはって歩けば、胸をはってついてくるんだ!
ついてきてもらうのが嬉しくなるような影を自分が育てなくちゃね!

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2006年10月30日 (月)

●仕事とライフワーク  2006.10.30

2006.10.30

●仕事とライフワーク  すずきみゆき

作品と、それから僅かなお金(葬式代くらい)は残したいけど、私は他には何もいりません。

服もバッグも靴も宝石も墓場まで持って行ける訳じゃありませんので(まあ、なんにも持っていませんが)、古くなってきた仕事の道具も最後まで使い切って、今のピアノも弾きつぶすまで使って一緒に燃え尽きる事が出来れば悔いはないと思っていました。そのくらい道具に愛着を感じているという事です。

でも、パソコンや周辺機器が壊れて困ってしまい買い替えたので、もっと仕事をしなければならない理由ができてしまったんです。(とほほ〜)
あ〜あ、好きな作品だけ作曲していたいな・・・

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2006年10月17日 (火)

●コスモス畑の素敵なKさんへ  2006.10.17

2006.10.17

●コスモス畑の素敵なKさんへ  すずきみゆき

「私たち夫婦は、趣味も性格も食べ物の好みもすべて違います。」と、これから先の事を少し不安げに言っておられた最愛のネットフレンドKさんに宛てた文です。


Kさん、

>私たち夫婦は、趣味も性格も食べ物の好みもすべて違います。

結構ではありませんか。ご夫婦の価値観や目標の一部が一致していれば、趣味や性格や食べ物の好みなど、寧ろ違うほうが面白いかもしれませんよ。(ただ、一方的に片方が他方に合わせようとするとちょっとシンドイかと思われますが・・・)

互いの相違点の理解を基準とした行動をとれれば良いのではないかと・・・突き詰めれば、それが「互いに歩み寄る事が出来る」=「相手の為に自分が変わる余地がある」という事ですから…

Kさんご夫婦と比べると、私たちは夫婦は酷似し過ぎています。磁石ならS極とS極(あるいはN極とN極)ですから反発し合います。六占星術でも同一星人(ー)です。
挙句の果てに職業まで一緒なので、余りにも分かり合え過ぎるのです。だから別居結婚がうまくいくのかも知れません。

性格は、どちらも神経質でストイック。なのにマヌケな所だらけです。そして何よりも自分のライフワークが一番で、自分は自分、他人は他人が基本なのです。私たちは、それを充分に分かり合っていますが、だからといってどうなるのでしょう。

例えば私の実家の年寄りの事、義姉の健康の事、私の家のローンの事、夫婦の体調不良や老後の心配等々、どこの家庭にでもあるこの現実は、どこにいったってずっとついてまわるモノです。ですから、これから一層助け合って生きるしかないのだとハラを括ってはいます。
が、分かり合った所で、それだけでは変わるモノなど何もありませんし、理解していると言ってみた所で実際に助け合いの行動を起こさなければ、言葉の上での理解でしかなく虚しいだけです。
で、何をどうやっても不自由だなあと思うわけです。

「生き方」や「生き甲斐」などと勿体ぶった事を言ってみた所で、これらの現実がどう成る訳でもなく、やっぱり人生なるようにしかならないのよ。という所に考えは落ち着くわけです。

つきなみですが、何とかやっていきましょうよね。もう半世紀以上生きてきたのですから惰性の力を借りてでも何とかやっていくしかありません。

つまらない事を長々とすみませんでした。m(_ _)m
おやすみなさい。。。

コスモス畑の素敵なKさんへ
                   みゆき

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2006年9月30日 (土)

◆ 自由律俳句  2006年9月

2006.9

◆ 故郷は山青く花木の香りに弾む心  すずきみゆき

◆ 美味い風 心の底まで吸いこむ   すずきみゆき

◆ 段々畑のトマト赤く沈む夕陽    すずきみゆき

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2006年8月29日 (火)

◆ 自由律俳句  2006年8月

2006.8.29

誰の化身か 居らぬ筈の蝶が舞う  すずきみゆき

沈む夕陽 美し過ぎてせつない   すずきみゆき

酒や己に酔うて人殺める輩あり   すずきみゆき

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2006年8月22日 (火)

●戦争はしたくないけれど  2006.8.22

2006.8.22

●戦争はしたくないけれど  すずきみゆき

私の父は志願兵だった。戦車隊で戦争の訓練を終え、いざ明日は戦地へ!という時敗戦の知らせがきてシベリアに抑留された。 4年後、父はシベリアから生還し、真っ先に新橋で父の帰りを待っていた婚約者の許に駆けつけた。ところが、婚約者は父の戦死の知らせを受け他の男性と結婚してしまっていた。だから私が生まれた。
もし私が生まれなければ息子の存在もなかったし、今の夫と出遇うこともなかった。

暑い夏の終戦記念日のたびに、私は、何が起こっても失われるものと生まれるものとがあることを実感する。もの事の善悪はその時代が作った価値観によって決まる。

あり得ないと思うが、もしも人間が争わなくなったら、今の日本人よりも自己中心で平和ボケしてダラケた精神構造の人間たちが国家をママゴト遊びの様にもっともらしく治めているかもしれない。
弱肉強食という自然界の大原則を破った人類の人口は増え続け、精神病も増え続け、大義名分も無く無闇に殺し合うようになっているかもしれない。

もしも、自由と平和を使いこなせないこんな愚かな人間どもを 苦笑して見下ろしながら、神々が我々を戦争に駆り立てる様に操っているのだとしたらどうだろう?

常に大自然を敵にまわし地球上で君臨してきた人類が、いずれ自滅の道を辿るであろう事は容易に想像し得る。限られた資源や食料の地球上で、ある生物の人口が一定の数値を超えれば共倒れにならないとも限らない。そうなればヒトでなくとも同種族内で殺し合って、種族が生き延びるための健全な人口密度を取り戻そうとするに違いない。きっとDNAにもそのように組み込まれているに違いない。

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2006年8月 8日 (火)

●自室の雪見窓  2006.8.8

2006.8.8

●自室の雪見窓  すずきみゆき

採光や眺望を目的に座位の目の高さに付けた小窓の事をそう表現しましたが、
いわゆる紙貼障子の一部が透明ガラス入りになっていて、その室内側にさら
に内側にすり上げや引き違いにした紙貼の小障子が付いた「雪見障子」とは
全く見かけがなるものです。

3階の自室の作曲専用机の下には座布団代わりにごろ寝布団(小ぶりの布団)
が敷いてあり、いつもそれに座って創作しています。雪見窓がその机の左側
の壁のやや後方についているので、机は昼間は快適な明るさを保っています。

また、創作の合間にゴロンと腰や背を休める時、雪見窓から空を眺め、風を
入れて寛いでいます。

建築当時、この雪見窓を付けたのは、夜明けとともに目覚めるための採光が
目的でした。

雪見窓の外側は3階の北側のベランダですが、今は、半透明の雨よけを被せ
たガーデニング用のテーブルセットの椅子2脚が、窓を被うように立て掛け
てあるため、光や風は程々に通しますが、網戸にしておいても雨は全くかか
りません。
ただし、雨よけカバー越しには星空が眺めにくいのが残念ですが、ベランダ
の椅子に身を投げ出して大きな空を眺めるほうが、むしろ心地よいですし、
公害になるのでは?と 今まで気にしていた湯上がりのヌードを 遠くのビル
から覗かれる心配がなくなりましたので上々だと思っています。(爆)

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2006年7月30日 (日)

●音楽がなくても  2006.7.30

2006.7.30

●音楽がなくても  すずきみゆき

「音楽がないと生きて行けない」って、その人の気持だと思う。
私は音楽が無くても生きて行く。

生まれつき心臓の病だったり、途中で手を壊したり、難聴になったり、人生色々だったけど、

ずっと音楽をやっていたのは「音楽がそこに在った」からだ。
もちろん音楽のある生活は私にとって最良のものだったと思う。

でも、私は音楽が無くても何かを見つけて生きて行く。
なぜならば、私の「生」が既にここに在るからだ。

だって、生き甲斐って、初めから在るものじゃなくて、生きていく過程で見つけていくものだよね。

A君、私はそう思うよ。

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2006年7月28日 (金)

◆ 自由律俳句  2006年7月

2006.7.16

◆ 道に雨のシミがひとおつふたあつ直ぐ消えて  すずきみゆき

2006.7.20

◆ 誰も居ぬ筈の空気がやさしく動く       すずきみゆき

◆ 呼吸し酸化されながら命燃やしてる      すずきみゆき

2006.7.22

◆ 音想へば歌っている夏の空          すずきみゆき

◆ 鍵盤に深く沈み一つになる          すずきみゆき

◆ 手の中に愛と音を育む            すずきみゆき

◆ 心の軽さで失ったものの重さを知る      すずきみゆき

◆ 一つ亡くして何もいらなくなった       すずきみゆき

◆ 布団に打ち上げられた亡骸で眠る       すずきみゆき

2006.7.28

◆ 夏 光る汗の少女とすれ違う         すずきみゆき

◆ 梅雨明けぬラヂオの雨音で目を覚ます     すずきみゆき

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2006年7月 7日 (金)

●人間の成長  2006.7.7

2006.7.7

●人間の成長  すずきみゆき

決して他人の事は言えませんが、自由過ぎて歯止めがきかない環境では、人間は成長しないのかもしれないような気がします。

今は変に自由だから自制心も育たず、情操面も幼稚なままの大人が多いように思います。
国家も同じです。人間が人間として育たない様に国家が国家として育っていないのではないでしょうか?

案外、ヒトとは本来この様に好き勝手なもので、
それを法や権力等によって制御されて統制がとれなんとかバランスを保っているのかもしれません。

自由を使いこなせる自制心が育たなければ、自由が最良の環境とは言えなくなってしまいますよね。さびしいですね。

やはり大切なのは教育。しかも生涯教育ですね。
私めも、諸先輩方を見習って、他の人から見習われるような年長者にならなくては…
うん。

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2006年7月 4日 (火)

●何か言ってやりたい事がある時  2006.7.4

2006.7.4

●何か言ってやりたい事がある時  すずきみゆき

悔し紛れに言ってやりたいだけなら言わない方がいいです。
相手が意固地な人で、言ってもしょうがない場合も言わない方が…
また、いくら正当な事でも、相手に理解してもらえないような内容も同様です。

以上のように、言っても解決の見込みが立たないない場合は、むしろ黙っている方が賢明です。
言ったために、かえって事態を悪化させる事もあるからです。

一番の理解者は自分自身です。
何もかもが上手く行く人生はありませんし、また、さんざん時間とエネルギーを使って、ある事を解決をしたつもりでも、相手を巻き込んでいる以上、新しく大きな問題を生む事があります。そのために失われる時間もあります。

根本的な解決の不可能な問題のウワベッツラだけを自己満足のために繕った場合に、この様な事がよく起こります。

このように長い人生の中での些細な不満は下手に対処しても、ぬか喜びに過ぎない場合があるので、「諦めが肝心」な事も多々あります。
ところが、この根本を解決出来ないような悩みが最も根が深いのです。

どうせ悩み事のない人はいないのですから(^^;
「なんでアタシだけが…」と思い詰めても仕方ありません。
人生を明るくするか暗くするかは自分次第です。

自分に誠実に生きられれば、それで充分ですよね。

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2006年6月29日 (木)

◆ 自由律俳句  2006年6月

2006.6.4

◆ 多すぎる荷物に潰されている    すずきみゆき

◆ もう何も要らぬ束の間の歳月    すずきみゆき

◆ 余分を捨てだいぶ楽になった    すずきみゆき

2006.6.21

◆ はしご倒れかけた瞬間の空中遊泳  すずきみゆき

2006.6.29

◆ 検査待ちの無味なガムを噛む    すずきみゆき

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2006年6月13日 (火)

●レッスンで嬉しかったこと  2006.6.13

2006.6.13

●レッスンで嬉しかったこと  すずきみゆき

小学生のピアノのレッスンをしました。
先週までは怖い顔をして無表情に弾いていたのですが、先週、ピアノを歌わせる事を教えたところ、顔も音楽も実にいい表情で弾いてくれました。

こう言ってはアレですが、いくらピアノの良さを教えても、結局、子どもが出来るようになるまでは、お母さんにとっては子どもに合わない大変なだけのレッスンに見えるかもしれない訳です。が、いったん成果が実を結び表現力を身につけると「うちの子は天才だ!」と言って大喜びしておられます。

この「表現」こそがレッスンの最終目標なのですから指がまわるだけで満足されては困るわけですね。個々のお子さんの持つ能力と感性を最大限に引き出すのが私たちの役割なので、その妨げになるような考えをお母さんに持たれるとナンダカナ〜となってしまうんです。(^^;

「もう弾けているのだから早く先に進んで欲しい」というあくまでも素人判断のご期待に添い過ぎますと結局は表現力に乏しいピアニストを作ってしまいかねません。技術に偏ったピアノ演奏なら、この時代、人間が弾くよりパソコン演奏のほうが優れているという事もあり得ますしね。(^^;

そもそも、音楽というものは楽しむもの、また、楽しませるものであって、決して楽譜通りに指をまわすだけの練習をガツガツやっていれば やがて実を結ぶというものではないのです。
作曲同様、演奏という行為もクリエイティブなものです。音楽性を育てるレッスンが実を結ぶ時、先生から教わらなくても素晴らしい音楽を奏でる お子さんたちの成長ぶりを見ることができるはずです。 自分の感性を信じて演奏する一人前の音楽家の姿を…

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2006年6月 8日 (木)

●冬のソナタ  2006.6.8

2006.6.8

●冬のソナタ  すずきみゆき

今日の最後の生徒さんは私の母くらいの年齢の方で"冬ソナ"のピアノソロアルバムを持ってきます。右手のメロディーは変えずに単旋律にして、左手の伴奏は弾きやすいように生徒さんに合わせて編曲して差し上げるので、安心して弾きたい曲の楽譜を捜していらっしゃいます。楽譜選びはご本人の楽しみでもあるようです。

レッスンでは。1曲を数ヶ月かけて練習します。また、お友達との交流でピアノをお披露目する機会があるということ、ほんとうに素敵ですね。お仕事もまだ現役でやっておられますし、韓国にも年に何回か旅行されるそうで人生をエンジョイしておられます。

楽譜屋さんに行けば色々なレベルに編曲された楽譜は出ているのですが、弾いてみると案外難しいのです。ピアノを教えたことのないアレンジャーが編曲したものであれば、ピアノ教室の現状をよく知らない場合も考えられますよね。やはりピアノを弾くご本人に合わせて編曲するのがご本人にとって最も良いわけですから、それを実現するのも音楽教室の仕事だと思っています。

生徒さんは「編曲料をお支払いしますよ」と言ってくださいますが、レッスンの時間に少しずつ編曲しているので余分な編曲料は頂かない事にしています。

来週は新しいところに進めるかな? 楽しみが増えた今日この頃です。(*^_^*)/

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2006年6月 2日 (金)

●いちばん堪えること  2006.6.2

2006.6.2

●いちばん堪えること  すずきみゆき

私は何でも表立ってやって(言って)しまう方なので普段は気をつけなければならないと思います。

しかし、仕事の現場でおやっ?と感じる事はハッキリ言います。
特にここを改善すればイイ仕事ができる確信がある時は。

しかしながら、周りの人たちはそうは思っていないかもしれません。
私が何故そう感じるかと言いますと、皆さん、本番が終わってから次回は○○にしましょうと仰ります。
あれだけリハーサルを入念にやっているのに何故その時に言わないのでしょうか。
例え、そのために衝突したってイイ仕事をする為には言うべき事が沢山あると思いますのに…

きっと、一つのステージをより良いものにしたいという思いよりも「あ〜あ、言われちゃった」という思いが勝っているのかもしれません。
だから、言われた人に失礼だし、雰囲気が悪くなるから、とりあえず現場で直接言うのは避けて本番の後で言おうという冷静な配慮がなされるのでしょう。

でも、ステージを作る仕事を幾度も共にしていながら、しかも、音楽家でありながら仕事に必要な事をその時に伝えられない関係って寂しいです。
そのような人間関係を築けない私にも原因があるのでしょうけれど、音楽に対する「本気」を「裏切られる」思いがします。

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2006年5月15日 (月)

●一つの考察  2006.5.15

2006.5.15

●一つの考察  すずきみゆき

「文字」という次元で作られる芸術、また、「音」、「平面」、「立体」、「動体」のそれぞれの次元で作られる芸術のそれぞれの相違点は明らかである。

我々人間の生きている次元を一段高い別の次元から見つめるに至る体験をするという宗教家たちのように、ものごとを掘り下げて掘り下げつくした芸術家の視野には専門、専門外を隔てることなくあらゆる分野の共通点が見い出されるだろう。それは一段高い次元から眺めたとき瞬時になされるスケールの大きい理解と同じなのだ。

では、芸術音楽など何のために作るのだろうか?
芸術性を追求すれば追求するほど、私は「たった独りの道」を意識せざるを得ない。
私にとって音楽とは何か? 私とは何か? もともと誰が作った何のための道を私は更に歩もうとしているのか?
自己実現とは自己満足の範疇にあるのだろうか?という思いに駆られながらも私は『それは「美 = 至福の時」のためだ。』としか答えられない。

「美」とは何か?
作曲者にとって表現活動としての音楽がいつでも「奇麗」で「癒され」なければならない理由はどこにも無い。(「奇麗」と「美しい」を使い分けるとして)奇麗でなくとも充分に心が動かされるし、むしろ奇麗なだけでは詰まらない事もある。
例えば高度で複雑であるといわれる構造美、和声感、リズム感、音程を持った音楽が絶対多数の聴衆の理解を得られなくとも、音楽を学び尽くした聴衆には最高の「音の構築物」として受け入れられる。---- 最も至福を感じられる時だ。

初めから多くの聴衆に受け入れられる為に音楽を作ろうとしなくとも良いのではないか?
例え何のためだとしても、どうせ自分の感性に忠実に作るしかないのだから… と思い始めると私はいつも自分の音に対して一切の妥協を許さなくなっている。表現したい通りに作品を作り上げること自体が難しいが、それこそが技術の基本である。だからこそトレーニングを積んだ芸術家の作品には神業を感じさせられる何かがあるのだ。 「美」とはそういうものだ。

私が私自身の美学を追求するなら、今は要らぬもの全てを排除して、ある意味、愚に徹して生き抜くしかないのだ。

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2006年4月11日 (火)

●早く気づいて欲しい  2006.4.11

2006.4.11

●早く気づいて欲しい  すずきみゆき

私は最近のお弟子たちは音楽的レベルよりも人間的レベルが低く育ってしまっていると実感します。
ほんとうの知性が育たない若者達に芸術分野の基礎を手ほどきするのは「豚に真珠」のような気がして虚しくてなりません。
彼らは楽をして要領よく切り抜けようとしますし、音楽を極める為の努力をまるで人ごとのように思っています。
親達はろくな躾もしなかった子ども達に"自分の責任で勉強して欲しい"と言い子育て放棄します。
今の自分から抜け出さなくてはならないとモガくお弟子達に、規則正しい生活と運動を心がけよと言っても、彼らにはその自己管理ができないのです。
自己管理とは習慣であるし、やはり今からでも躾が大切なのだ、と親を説得するのに30分以上電話で話し合わねばなりません。

彼ら(受験生とその親)にとっては私の言う事が厳し過ぎる、或は、音楽や受験とは直接関係がない様に感じるのかも知れませんが、自己管理をして最良のコンディションで最善の努力をして受験した子ども達は、私が何も言わなくとも自分の力がどの程度のもので、これから自分はどう生きれば良いのか察する事が出来ます。

それが出来ない子ども達は、大きな目標のために努力出来なければとっとと諦めるしか無いのに、それまで全力で取り組んで来なかったため、いくら受験に失敗しても、来年こそは本気で頑張るぞと言っていつまでも結論が出せないのです。 親も子が可愛いですから毎年その言葉を信じてしまう訳で、私のすすめにも応じずに芸大一本に絞らせてしまいます。
・・・まあ、他大学の作曲科の卒業生よりも曲が書けるのですから気持ちは解りますが… 大事なのは必死さなんですよね。 その受験生親子は、ただ、芸大を受ける事で自分たちはキチンと生きているんだという満足感を味わっているだけなんだという事にも気づかずに・・・

結局、今年、私は一人のお弟子を散々叱り飛ばして外に出しました。
その青年は「作曲をヤメるという事ではないけれども、自立する事を優先したいから、しばらくレッスンを休みます。」と涙を流しながら言い、最後のレッスンを終えて帰って行きました。
今頃は、好きな事を続けながら生活する事の大変さを実感している事でしょうし、また、なぜ今迄、学歴ブランドにしがみついていたのだろう?と、改めて考えているに違いありません。
彼が、もしそれでもレッスンに戻って来たら、少しは私の言う事を実感出来るようになっているでしょう。ホンモノの勉強が出来るようになって来るかもしれません。(*^_^*)/

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2006年4月10日 (月)

詩【サンダルと私】  2006.4.10

C-Direct-2U ★「ちょ詩」-30 2006年8月21日号)に取り上げて頂く

 

2006.4.10

【サンダルと私】  すずきみゆき

晴れそうでいて晴れることの無い春の空から

透明なナニかが降りて来るらしい


濡れるでも無く乾くでも無いベランダのサンダルに

音も無く小さなシミが広がっては蒸発していった


なぜ空は泣いているのか 風の無い静かな春の昼下がりに

と サンダルに呟いた

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2006年3月26日 (日)

◆ 自由律俳句  2006年3月

2006.3.1

◆ 鼓動ぎこちなく生きる       すずきみゆき

◆ 鍵盤恋しがる指だ         すずきみゆき

◆ 終演の風美味い          すずきみゆき

2006.3.26

◆ 鳥も猫も鳴き交わす春の夕べは   すずきみゆき

◆ うかうかと日暮れる早さよ     すずきみゆき

◆ 日の当たらぬ男の陰うすい     すずきみゆき

◆ 薄れた憎しみハラリと捨て春独り  すずきみゆき

◆ 誰が捨てたか幸せ煽られて飛んで  すずきみゆき

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2006年3月10日 (金)

詩【孤独】  2002.12.9

C-Direct-2U 投稿#269 2003年3月3日号)に投稿


2002.12.9 

【孤独】  すずきみゆき


地球(ほし)を覆いつくすかのように

空は

どこまでも凍てつき

落っこちる寸前の重たさを保っている

天上から

白くあどけない落下傘部隊が

次々と降り立ち

木々の枝々に

純白のトナカイの角を造形していく

この

天使たちの造った風景は

もう動かなくなった時間の屍


その氷雪の谷間では

生きた孤独だけが

あつく流れてゆく・・・



   ***
   ***



作者のコメント(C-Direct-2U 投稿#269 2003年3月3日号):

去年の12/9、大雪の日です。私は作品のスケッチ旅行に山梨にいきました。
その時、バスの窓から見えた景色に触発されて書いたものです。
収穫は一遍の詩だった。。。   ふふっ、複雑な思いで帰宅しましたね。
なんでかって?・・・・・・・
・・・あっ、申し遅れました。  わたし、作曲屋なんですよ。(笑)
自分の書いたものは、詩に限らず 一度自分から突き放して 冷静にみたいですね。
そのために投稿させて頂きました。 忌憚のないご意見を頂ければ嬉しいです。

すずきみゆき ◆ こんな日常の中でつくる非日常の価値



   ***
   ***



*** 3年経って ***


作者のコメント(2006年3月10日):

思い返せば 私は、必死な時には孤独を感じた事がありません。決して必死な時には孤独ではないという意味ではありません。孤独かどうかすら解らない「孤独」だという概念などを思い浮かべる余裕がないのです。例えば必死に何かに向かっている時、道ばたに咲いている花や、風や空の様子から季節の移ろいを感じる余裕がないのと同じです。心を忘れている(忙しい)のです。

【孤 独】を書いた日、私は珍しく時間を作って旅(スケッチ旅行)に出ました。そのこと自体は幸せな事なのですが、バスの外の延々と続く雪景色を眺めていて、私はあたかも外から自分を眺めているような感覚を覚えました。
冷たい筈の一筋の水流が、さらに冷たい氷雪の谷間を湯気をたてて流れていたのを思い出します。
あの時は(私が選んだ道だから一人でも仕方ない)と思っていました。
でも、今は、あの一筋の水流は場所を選んで流れていたのではない。自然の摂理に従って流れるべくして そこを流れていたのだと思うようになりました。
人は何をする時も自分として生まれるべくして生まれ、生きるべくして行き、逝くべくして逝くのです。
あの一筋の水流は無意識に大洋を目指して流れていたのだと思います。どこまで頑張ろうかとか、いつか大海原に辿り着くかどうかなどとは考えないで、きびしい環境の中を 体を白く蒸発させながら ただただ流れていたのです。 生命体が、授かった「生」をひたすら生きているように。

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2006年1月11日 (水)

詩【誰でも死と隣り合わせ】  2006.1.11

2006.1.11

【誰でも死と隣り合わせ】  すずきみゆき


花が花として咲き続けるように

わたしは自分であるために

何かをし続けなければならない。


日々 時を刻む音の傍らで

わたしは自分であり続けようとする。

止まってはいけない 止まってはいけない


自分を止めてしまったら

死ぬこととなんら変わらない。


けれど

命は ちゃんと

生まれたときから死に向かっているんだ。


花が散って 花でなくなっても

いずれ実を結ぶように


この世に生まれて 自分を生き

生きて 自分を死に

死んで 何かを残す


そのために私たちは生まれた。


ちゃんと自分になれるまで生きて

ちゃんと自分を死ぬことが出来るまで

生きよう。

自分の死をもって何かを残せる人間に

なれるまで生き続けよう。


いつの日か続けられなくなるであろう「自分」と

この世に生み残した私の分身たちとが

世界と 世界とで

繋がっていてくれればさえ それでいい。

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2006年1月10日 (火)

詩【夢】  2006.1.10

2006.1.10

【夢】  すずきみゆき


揺れて ゆれて ゆれて ふっつりと

切れて きれて きれて 放られた


飛んで とんで とんで ぶつかって

落ちて おちて おちて 崩れても


止まったら もう死んだも同じさ と

呟く声が いつまでも 止みはしない


毎夜毎晩 揺すり続けるしかない心の

あなたの漕ぐブランコが見る 私は夢

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