しっかし、まあ!長いコンサートだった。
近現代の難解な邦人作品をこんなに立て続けにお客さんに聴かせるの無理!
お客さんを有料で呼ぶには、新しい作品は、やっぱり時代を経て生き残った名曲の中にスパイスとして、せいぜい1〜3曲程度を混ぜてプログラムするのが限界だと思う。
アタシは作曲屋 兼
近現代のピアノ弾きだけど、アタシでも客席でこんなに長々と難解で似たような音楽を聴かされたのでは気力も体力も保ちません。でも、アタシ達音楽家にとって「理解可能」な面白いシロモノばかりなら、まだ、話しは
別よ! アタシ達ですら、「ん〜〜ん??? ふ〜〜〜っ…」とリアクションしてしまう音の羅列に、「料金」を設定する気に、どうやったらなるのでしょうか?
たとえばさ、「ゲージュツは難しいもの」っていう言い方は、せめてアタシ達専門家の感性に訴えるレヴェルの作品にだったら許されるのよね。
だからね、この手のコンサートに、なにも、もったいぶって入場料を設定しなくてもいいのじゃないかとアタシは思うんだよね。もっと謙虚に考えても良いのじゃないかしら?ってね…毒舌じゃなく良識的な見解でマジに思う訳ですよ。
さて、アタシの文章にご立腹の皆様! もちろん、コンサートで演奏される作品の価値は誰にも決められませんよ。しかし、作品の価値の有無にかかわらず、コンサートが有料なら少しはお客さんの立場に立ち、主催者の都合でやるなら入場無料で開催すべきです。
良
い作品を自信とプライドを持って聴衆に無料で提供するというのも中々カッコイイではありませんか。ほんとうに優れた作品なら、別に儲からなくたって大勢の
聴衆の耳を満足させるだけでもプログラムに載せる価値があります。これからの時代を経て演奏家や聴衆に忘れ去られずに残って行くような、ほんとうに優れた作品なら、その作品の印象を多くの聴衆の聴覚に焼き付ける事だってできます。
私たち作曲家は、コンサートの経費や演奏家へのギャラを少しでも取り戻すための「微々たる儲け」のために人生の多大なる時間を切り割いて曲を作っている訳ではありません。それでは余りにも残念です。
少しぐらい苦しくとも、作品を広める(お金より集客)というコンセプトを貫くために、いい方法を考えるべきではないでしょうか?
コセコセしたコンサート運営は、どうせ、いつかは演奏家や聴衆から見放され、結局は作曲家自身の首を絞める事になると思います。
せっかく演奏家と協力し合って作るステージなのだから、少しでも気持ちよく聴いて頂けるように、お客様の立場に立った健全なプログラミングをし、準備にもユトリを持ってコンサート運営をしていきたいです。
近現代、まして海のものとも山のものとも解らない(良
く言えば、将来性のある)書き下ろしの新曲を演奏してくださる心優しい演奏家の皆様が、なぜ、その曲を二度と演奏しないのか考えてみた事がありますか? あなたの作品が繰り返しの演奏に絶えられる曲かどうか一度でも演奏者に尋ねてみた事がありますか?(あるいは、そんな意見をズバッと言ってくれる演奏家の親
友はいますか?) どんなコンサートか解っていながら、わざわざチケットを買って足を運んでくれて、こんなコンサートはダメだ!と忠告してくれる友人が一人でもいますか? そして、
あなたは、そんな演奏家や聴衆の意見を謙虚に聞き入れる耳を持っていますか?
ほんまに総合的な思考を巡らせて作品の生き残りのために努力しましょうよ!
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