2008年12月25日 (木)
2008年12月24日 (水)
2008年12月19日 (金)
創作料理:「具沢山ごぼう汁」と「果汁入りビール」
今日は「具沢山ごぼう汁」と「果汁入りビール」のおとなし目の創作料理を作りました。予想通りのお味で中々美味しいのでアップしますね。
●「具沢山ごぼう汁」の材料
煮干し 適量
カツオ出汁 適量
ごぼう 2本
にんじん 小1個
玉ねぎ 中1個
ジャガ芋 小4個
こんにゃく 1袋
豚肉 100g
醤油 柄杓1杯
紫蘇油 大さじ2杯
レモン酎ハイ 180cc
油揚げ 1枚
しょうが 少々(スライスして)
一味唐辛子 適量
自家製フキノトウ味噌
大さじ山盛り1杯(量は味をみて決める)
自家製赤みそ
実家の畑のフキノトウ(簡単に茹でてみじん切り)
ニンニク(吊り下ろして)
自家製一味唐辛子
●「果汁入りビール」の材料
レモン果汁 (1個分)
ビール 150cc
リンゴジュース 70cc
今度は柚子を使った面白い?もの作ってみるね(’。’)
2008年12月18日 (木)
VDT症候群(テクノストレス眼症)
私の変視症はどうやらこれが原因のようです。
私は子どもの頃から目立たない程度の斜視があり、また、遠視と、見え方に(平らな床が非常にゆるい波のような形にウネって見える程度の)軽い歪みがありました。
医師に眼鏡をかけないと将来乱視になるよと言われ眼鏡を作りましたが、うっとうしいため眼鏡を外している事が多かったです。
眼鏡の使用を怠った所為か成人してから乱視になり楽譜を書くのに困るようになりました。
どのように困ったかと申しますと、手書きで正確に書けなくなり定規を多用するため仕事の効率が悪くなったのです。
何故?
私の楽譜の見え方のご参考にと思い書かせて頂きますね。
見え方は、一定方向に規則的にひしゃげた像を結ぶ傾向にありました。
例えば、机の上に縦に平行な二本の線が引かれた紙が置いてあるとします。私には、この平行な筈の二本の線の幅が、紙の上の方はより幅広く、紙の下の方がより幅が狭く見えるのです。
そうです!私には「正方形」が「上下をひっくり返した台形」の形に見えるのです。
その上、ここ数年は、景色が小さく見えたり(小視症?)、見える大きさが不規則に変わってボンヤリ歪んで見えたり、更に、縦にも横にも二重三重にダブッてビヨンビヨンに見えますから、見えるものがほとんど正確に像を結ばなくなり、極度に目が疲れるようになりました。
画数の多い漢字などは真っ黒に見えますし、ひらがなでも類似した文字の判別が困難です。
楽譜は、頭の中で音律に変換して覚えてしまうという特技のお陰で、演奏の方は辛うじて何とかなりますが、文字の方はかなりお手上げ状態です。
実は、耳も老人性?難聴でしょうか?年々遠くなっています。(苦笑)
結局パソコンを使った音楽の徹夜仕事に視力を悪化させられたのでしょうが、それならパソコンは「目の敵(かたき)」か?(笑)と言うとそうでもなく、今の私にとって、文字を拡大表示させるパソコンの機能はまさに地獄に仏で有り難い限りです。
まあ、視力の悪化は、仕事のし過ぎが原因という大義名分がありますから(爆)、少々カッコつけて「名誉の負傷」という言葉を用いてでも納得するしかありません(苦笑)
さて、パソコンをされる皆さん!
ここで私の病気をご説明しますので、ご一読頂いて是非ともご注意くださいませ。
VDT症候群(テクノストレス眼症)
| VDT(画面を表示する機器)を
使った長時間の作業によって起こる、目の疲れや肩こり、吐き気などの病気の総称をVDT症候群(テクノストレス眼症)といいます。 |
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| 症状 テクノストレス眼症の症状は、疲れによる充血やかすみ目、視力低下などの目に関する不調がほとんど。長時間同じ姿勢をとることによって起こる首肩腰の痛み や、胃痛、便秘などの体の不調、さらに進行するとイライラや抑うつといった神経に関わる症状が起こることもあります。 |
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予防方法
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2008年12月 4日 (木)
母さん、お元気で!
今日は浜松町バスターミナルまで母を見送りにいきました。
19:30 早めに家をでて小岩駅Popoでお土産を買い浜松町に向いました。
20:30 浜松町バスターミナルに着きました。ひ、暇だ〜(滝汗)
21:30 先にトイレを済ませ、受付で手続きをしました。
22:00 ビーム1が着きました。荷物を預けて母を乗車させました。バスの窓が暗いため、乗ったら母の姿は見えなくなり、すぐにバスは発車しました。あっけなかったです。
母の6日間のコンサート三昧の旅が無事に終わりました。
母さん、お元気で〜
23:20 江戸川の仕事場に戻りました。また、独りの生活です。。。(ー_ー)
2008年12月 1日 (月)
謎のドアロック事件
昨日は所属する地元の某音楽文化団体の本番でした。
本番二日前の金曜日には最終的な練習を終えて、
本番前日は上京する母を迎えに05:50に浜松町バスターミナルに到着(-。-)ふぁ〜ぃ…
帰宅後、母には入浴で旅の疲れをとってもらい、二人で接骨院に行きました。母は長旅で歩行困難になった脚の筋肉の治療で、私は本番に向けて全身と腕のメンテナンスでした。
本番当日の朝は、指慣らしを兼ねて楽譜の最終確認をし、最終的なコンディションの調整をして、母を送りがてらタクシーで会場に向いました。万全です。
ミーティング、調律後のピアノの試弾、舞台リハーサル、第4楽屋での指慣らしを終わらせて、ソプラノのKさんとピアノのAさんが私の作品を演奏し始める頃合いを見計らって下手側の舞台袖に向いました。
でも、
舞台袖への扉のノブをそっと動かしましたが動きません。
今度は力を込めてノブを動かしましたが動きません。
もしかしてロックされたのでは? まさか? 何故?
演奏中のため、客席に聞こえないように小さくノックして合図を送りましたが、小さい音なせいか誰にも気づかれませんでした。抉じ開けようとしたりノックしたり5分程努力しましたがダメでした。もう私の作品の初演も終わりそうですし、ノブに力を入れて手の筋を痛めたらしく痛みが走ったので、一人で抉じ開けるのは諦めて、ドレスを持ち上げ一目散に第1楽屋に走り、フルートの男性奏者に助けを求めて一緒にやってもらいました。が、やはり開きませんでした。
「自動ロックなんですか?」とフルート奏者。
「いいえ。今まで何度も使っていますけど、そんな事はない筈です。舞台側から誰かが鍵をかけたんだと思います。それに5分以上もノブをガチャガチャさせた
りドアをノックして合図してるんですけど誰も開けないし、閉め出されてるんです。これから出番だというのに!」
私がそういい終わると、間髪を入れず、フルート奏者が楽屋口から出て行ったので、私も途中まで追いかけましたが、もしも運良くドアが開いた場合には私の作品の演奏終了後 のお辞儀に間に合うので、非常事態の伝達はフルート奏者にお任せし、私は、鍵のかかった下手舞台袖への扉の前に戻りました。
間もなく拍手が聞こえたので私の作品が終わったのだなと思いました。拍手の音に紛れてドアを平手で強くバンバンと叩き、やっとのことで気づいてもらい、解錠の音とともにトビラが開きました。
「何で鍵がかかっているの!?」と声を荒げると「シッ!」と返され、本番中だったな…と思い(すぐにステージに向わなくちゃ)と痺れる右手を労
りながら想いを募らせ、作曲者として舞台下手に顔を出し客席様にお辞儀をするという演奏者との約束を果たしました。拍手の大きさから演奏が上手くいった事
を知る事が出来ました。
でも!作曲者なのに閉め出されて折角の初演を聴く事ができなかったなんて! 35年ステージワークをやって来たけど、こんな酷い事は初めてです。
呼気を震わせながら、「謎のドアロック事件」で傷めた右手で3分後には自作の難曲を弾かなければならない事を念ってました。
ええ、怒り狂いながら弾きましたよ。にこやかに舞台に上がりましたがね。
もしも演奏を聴いてそれが判ったとしたら、お客さん!あなたは大したものです。(爆)
といっても演奏に必要な冷静さは失わずに済みました。
第1曲目「浄土ヶ浜の日の出」の曲頭のpp(最弱奏)の右手のトレモロは、痺れで感覚の薄くなり始めた右手の動作をカバーするために、音を出さないように
慎重に鍵盤の深さの中央まで右手を沈めでカクッとした抵抗のある場所を探り当て確実に捉えました。その場所での手首の小刻みな運動によって弾きました。これはまんまと成功を納め「新奏法発見!」と
いうことで(爆)目出たし目出たし!
それから、もう一つ発見したのは、感覚が麻痺しても筋肉は覚えた通りに動いてくれるという事実。
私の義姉が脊柱管狭窄症で足の裏が痺れて感覚が無くなってしまっているのに何とか歩行していますが、きっと、こういう感覚なのだなあと少し理解しました。更に、手足を動かす場合に「実際の筋肉の動き」が「感覚」として認識されないのは、精神が壊れそうなくらいかなり辛いものである事も実感しました。
何故、私が舞台に上がる時間に限って通路が塞がれたのかがハッキリするまでは安心してご一緒する気になりません。
2008年11月25日 (火)
2008年11月20日 (木)
歩き続けられる事に感謝しながら…
先天性のWPW症候群C型を、2001年に、カテーテルアブレーションという手術で、WPW症候群にみられる心室と心房とを繋ぐ伝導経路に弱い電流を流して焼き根治させました。
頻脈発作が起きなければ、WPW症候群だけなら何でもないのです。
心臓を動かすための信号がWPW症候群特有の伝導経路を逆流してハウリングを起こした状態になり頻脈になります。そうなると充分に血液を送り出すだけ収縮しないうちに心臓が広がり次の収縮の準備をはじめるため心臓がポンプの役割を果たさなくなり血液が心臓から正常に送られなくなります。7才の頃からこの状態が頻繁にありました。
私の場合、最も危険なのは心房細動が起きた場合でした。
私のWPW症候群C型では心室と心房とが伝導経路によって繋がっているため、心房細動が起きると直ぐに心室細動を引き起こし即死してしまいます。
そんな訳で、WPW症候群C型の心室と心房とを繋ぐ伝導経路をカテーテルアブレーションの手術で低温やけどさせて伝導経路を使えなくしたのです。
でも、心臓に信号を発信するどこだかがまだ調子が悪いらしいのですが、そこはカテーテルアブレーションでは治せない所で、今の所はそのままにして様子を見ればいいようです。
とにかく、45年間背負っていた「不意な即死」の可能性を「人並み」に戻して頂いただけでも奇跡敵で、心から執刀された医師お二人に感謝しています。
さて、伊達や酔狂で心臓の手術の事を書いている訳じゃありません。
<難しい問題>
いつも色々な方からご忠告を受けるのですが、それに感謝しつつ更に書かせて頂きますと、
「疲労とストレス」が心臓に悪い事はよく解っていますが、音楽で、いや、音楽に限らず何かで生計を立てるという事は「疲労とストレス」と友だちになる事に他ならないと思うのです。
たとえば、スポーツ選手の寿命が短いのと同じ意味です。
今、私の歩いている道は「疲労とストレス」に晒されていますが、歩き続けられる事に感謝しながら少しずつ進むか、恐れて自分の道から逸れるかしか私には選択肢が思いつきません。
今の所、まだ若いつもりなので(笑)職業音楽家としての生き方を選択しています。
2008年11月 9日 (日)
こんな所をジョグ&ウォークしてます♪
久しぶりにジョギング&ウォーキングコースの写真を撮りました。
自宅から都立篠崎公園を早歩きで突っ切って15分、江戸川の堤防に出ます。
堤防に登って河川敷の眺め。江戸川の対岸は千葉県市川市。
河川敷に下りて、遥かな目標まで砂利道を駆け抜けます。
目標の折り返し地点に到着。ストレッチで使った筋肉を調整し呼吸を整えたら、階段から堤防に昇ります。
帰りは、景色を眺めながら堤防のアスファルトの道をウォーキングで…。
しばらく、その景色をお楽しみ下さい。
まだまだ遠い。アスファルトの道のり。
海から11.75Kmの地点。
望遠で撮った篠崎公園の森。堤防に沿った道は篠崎街道。

だんだん家に近くなってきました。と言ってもあと20分。
着いた! 階段を下りると篠崎公園への近道で出ます。
下りて振返ると土手の上のジョギングコースの脇の車道を京成バスが走っていました。
篠崎公園への近道を通ってバーベキュー広場へ。
日曜日は賑やかです。キャンプをしに来た人たち?らしい。
店で焼いたパンとお肉とお茶を買って来てベンチで朝食を済ませます。
ベンチから野球場が見えます。みな真剣&熱心に練習しています。
公園内専用の小さい自動車。電動式かな?
トイレ。
アスレチックの丘から見た樹々たち。
アスレチックの遊具たち。
うわぁ! いつ見てもでかい! 何の木でしょう?
並木道を渡ると、私の好きな日本風の公園です。
この樹、かわいいです♪
なんだ?この黄色い花は!
え? コスモス??? 11月だよ!?
パンジーたちも
公園の、このレトロな時計が好きです。
この公園のネコたちは人見知りをしません。カラスとも仲良し♪
チラッと野生の表情を見せるダンディーなネコ。女の子だったら失礼!
寅さんでお馴染みの柴又へ繋がる「柴又街道」までの短いアプローチ。
公園内の柴又街道沿いのベンチ。
2008年8月30日 (土)
ふり返ると・・・
葬儀が終わりました。
ふり返ると・・・
・8月10日(日)夜、夜行バスに乗る。
・8月11日(月)朝、宮古駅前に着く、父の病院へ直行。帰宅後、お盆の準備を始める。
・8月13日(水)お盆初日(迎え火)・・・施餓鬼棚を作る。迎え火。松明かし。
・8月14日(木)お盆二日目・・・墓参り(米 キュウリ)・松明かし。
父が発熱、37.5度、苦しそう。
・お盆を送ってからは毎日病院に行った。父は肺炎再発。また何も食べられなくなった。
・8月15日(金)お盆三日目・・・松明かし
父の体温は37.3度です。辛そうです。
・8月16日(土)送り盆・・・送り火・片付け・松明かし
父の体温は37.5度です。辛そうです。夜、体温が40度になりました。
・8月17日(日)近内教室レッスン 父の病院へ
父の体温は40度です。かなり苦しそうです。
・8月18日(月)父の病院へ
父の体温が38度から40度まで上がったり下がったりしています。肺炎です。
・8月19日(火)近内教室レッスン 父の病院へ
父の体温が38度から40度まで上がったり下がったりしています。
・8月20日(水)父の病院へ・松明かし
父の体温が少し落ち着いてきました。意識はあります。
・8月21日(木)夫と父の病院へ
父の体温が少し落ち着いてきました。意識はあります。
・8月22日(金)浄土ヶ浜へ 父の病院へ
父の体温がかなり落ち着いてきました。意識はあります。
・8月23日(土)父の病院へ 東京へ
父の体温は落ち着いてきました。意識はあります。
帰りのバスに乗る前に病院に寄りましたが、熟睡する父を無理に起こさずに夜行バスで帰宅。これが最後となる。
・8月24日(日)早朝、帰宅。入浴してから弦楽器の講習会へ遅刻して参加。
・8月25日(月)朝、夕べ父の容態が急変したと、実家から電話がある。
帰省の準備をしつつ山積みの仕事をする。
・8月26日(火)13:06、父、逝去 。
知らせを受け十数件の仕事の連絡・引き継ぎを終わらせ夜行バスに乗る。
・8月27日(水)早朝、夜行バスで帰省。既に帰宅している父の前で葬儀の打ち合わせ。
・8月28日(木)火葬・通夜
・8月29日(金)葬儀・ 初七日法要・忌み明け・納骨。事後処理をして夜行バスに乗る。
・8月30日(土)早朝、帰宅。入浴・身支度後、午後、江戸川思い出の愛唱歌を歌う会の伴奏。夕方はピアノのレッスン。
さて、今週は音楽家としての日常に戻りたいと思います。
●2008/08/31(日)・・・レッスン振替 ピアノ練習
●2008/09/01(月)・・・江戸川演奏家協会ミーティング
●2008/09/02(火)・・・ピアノ練習 調律
張り切ってピアノの練習中に突然手がガクッとなって力が入らなくなった。少し休んでから弾こうとすると指が震える。こりゃいかん! ただの過労であって欲しい…と振返ってみても3日間で10時間も練習していない。体全体の疲れかもしれない。気がつくとピアノのチューニングもビヨンビヨンに狂っていて気が変になりそうだ。今日明日中にと無理難題を言ってメーカーの調律師さんに調律をお願いした。音が整うと気持ちも落ち着いて来た。が、手は半分しか力が入らない。でも、とりあえずレッスンで生徒さんに弾いてあげる事が出来る範囲なので救われた。
とにかく疲れ切って、お風呂にも入らずに早く休んだ。夜、夫から電話をもらって目を覚ました時には腕や指が筋肉痛で固まっていた。手を安々と開く事も出来ない。自分でマッサージすると少し楽になった。
●2008/09/03(水)
湿布を貼って寝たというのに腕が筋肉痛だ。すがるような気持ちで接骨院に行った。丁寧に治療して頂き全身が楽になった。でも、今日は無理しないでおこう。
●2008/09/04(木)
目覚めると背中も腕も痛い。今日も接骨院に… 朝風呂に入ってから出かけるというのは実に気持ちが良い! かなり楽になりピアノを弾く手に力が入れられるようになった。
●2008/09/05(金)
今日は午前中に家事と接骨院、午後は仕事のまとめと、事後処理の書類などの最終的な準備をしよう。間に合うかな…
●2008/09/06(土)・・・近内教室
18:00- E様初レッスン
2008年8月24日 (日)
さようなら(ー人ー)
帰宅しました。
が、
8/26昼過ぎ父が他界しました。葬儀のため再び帰省します。
入院中の父は、苦しくなると早く逝きたがりました。
「人は、生まれる時と最後はなるようにしかならないのだから、終わりまでがんばろう。」と父に申しましたが、
お釈迦様が父の願いをお聞き入れになったようで、安らかな死に顔でした。
●2008/08/24(日)・・・弦楽合奏講習会 ピアノ組ソ7〜
09:00-12:00 弦楽合奏講習会(初日、江戸川文化センター研修室&ロビー)
●2008/08/25(月)・・・音楽遊び ピアノ組ソ8〜、9〜
15:30-16:30 すくすくスクール"音楽遊び"
夕べ父の容態が急変したと、今朝、病院から実家に連絡がありました。
帰省の準備をしつつ仕事をしています。
●2008/08/26(火)・・・
13:06- 父が、燃え尽きた蠟燭のように静かに生涯を閉じました。気がつくとフッツリと事切れていたそうです。最高の死に方ではないかと思わず唸ってしまいました。半生が闘病生活だった父は晩年を故郷の岩手県宮古市近内に戻り母と二人で暮らしました。近内に戻ったのは東京の家族の都合でしたが、故郷の海や山、川、空、うまい空気に食材、そして、何よりも温かい親族に囲まれ安らぎに満ちたものだったに違いありません。葬儀を通じて確信を持ちました。私も故郷の自然だけでなく、故郷の人々を大切にしたいと思います。
22:00- 夜行バスに乗る
●2008/08/27(水)・・・夜行バスで早朝帰省
07:30- 帰省
葬儀打ち合わせ
●2008/08/28(木)・・・火葬・通夜
10:00-11:00 火葬
15:00-20:00 通夜
●2008/08/29(金)・・・葬儀・ 初七日法要・忌み明け・納骨
13:00-14:00 葬式
14:00- 14:30 初七日の法要
14:30-15:30 忌み明け
16:00- 納骨
親族の絆
●2008/08/30(土)・・・江戸川思い出の愛唱歌を歌う会
13:30-15:30 愛唱歌 (第2・4)
2008年8月10日 (日)
帰省中です。
体調に波はあるものの、私もですが父が、日に日に健康を回復しています。
ところで米寿のお祝いは数えの88歳のお祝いなんですってね(^○^;)
父が退院したら早めにお祝いしようと思っていましたが、とっくに過ぎちゃってました(あら〜)
お祝い品は黄色いちゃんちゃんこなどではなく、もっと実用的なものを・・・補聴器が壊れたから買ってあげようと思ってますが、お高いんですねぇ(滝汗) 耳の中にスッポリ入る片耳20〜30万円もするデジタル補聴器は・・・高齢者だと小さくて紛失しそうだから(^□^;) 片耳6〜7万円の耳掛けタイプのほうが扱いやすそうです。(^◇^)ウンウン
家族の愛さえ確保されるなら、確かに、あとは¥さえあれば幸せな老後が送れそうですね…(^_^;;
●2008/08/10(日)・・・東京発
●2008/08/11(月)・・・父の病院へ
●2008/08/12(火)・・・父の病院へ お盆の支度
●2008/08/13(水)・・・お盆初日(迎え火)
09:00- *
施餓鬼棚を作る*
14:00- *迎え火*
19:00- *松明かし*
施餓鬼
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
施餓鬼(せがき)とは、仏教における法会の名称である。または、施餓鬼会(せがきえ)。
概説
訓読すれば「餓鬼に施す」と読めることからも分かるように、六道輪廻の世界にある凡夫の中でも、死後に特に餓鬼道に堕ちた衆生のために食べ物を布施し、その霊を供養する儀礼を指す。
法会の時期は、盂蘭盆として旧暦の7月15日に行われるのが一般的である。日本におけるお盆の場合、お精霊さま(おしょらいさま)と呼ばれる各家の祖霊が、一年に一度、家の仏壇に還ってくるものとして、盆の期間中、盆供として毎日供物を供える。それと同時に、無縁仏となり、成仏できずに俗世をさまよう餓鬼にも施餓鬼棚(せがきだな)、餓鬼棚(がきだな)や精霊馬(しょうりょううま)を設ける風習がある。
さらに広義には、施す対象は餓鬼神に限らず、三界万霊十方至聖『大施餓鬼集類分解(原古志稽著)、立牌』にも及ぶ。(上は三宝を供(くよう)し、下は万霊を済えば、其の福百倍なり。単に施鬼神食に局(かぎ)るべからず。後学、焉(こ)れを知れ。『大施餓鬼集類分解、施食の時節』)
また、万霊とは生魂をも含む。 (万霊というは、万は且(しばら)く大数を挙ぐ。衆生無辺なり。豈に啻(た)だ万のみならんや。霊は謂く、含霊、即ち有情なり。『釈要鈔』に云く、「含霊は即ち衆生の異目(べつめい)なり」と。『大施餓鬼集類分解、立牌』、
施というは、梵語には檀那、此には施と曰う。但だ鬼道の飢渇に施すのみにあらずして、上は十方の諸佛に供(くよう)し、下は六道の群生に施す。故に無遮の大会と名づく。又た施食と曰い、又た水陸会と曰う。『大施餓鬼集類分解、題目』)
但し、浄土真宗においては、施餓鬼会は行われない。
曹洞宗においては、俗に盂蘭盆会施餓鬼と言っているが、施す者と施される者の間に尊卑貴賤の差があると、厳に戒むべきものだとして、「施餓鬼会」を「施食会」(せじきえ)と改めて呼称している。
また、施餓鬼は盂蘭盆の時期に行われるのが通例となっているが、本来は特定の時期(つまり盂蘭盆)の時だけに限定して行われるものではない。これは、目連尊者の伝説と、阿難尊者の伝説が似ていることから、世間において誤解が広まったものとされている(後述)。
由来
目連の施餓鬼は「盂蘭盆会経」によるといわれる。この経典によると、釈迦仏の十大弟子で神通第一と称される目連尊者が、神通力により亡き母の行方を探すと、餓鬼道に落ち、肉は痩せ衰え骨ばかりで地獄のような苦しみを得ていた。目連は神通力で母を供養しようとしたが食べ物はおろか、水も燃えてしまい飲食できない。目連尊者は釈迦に何とか母を救う手だてがないかたずねた。すると釈迦は『お前の母の罪はとても重い。生前は人に施さず自分勝手だったので餓鬼道に落ちた』として、
『多くの僧が九十日間の雨季の修行を終える七月十五日に、ご馳走を用意して経を読誦し、心から供養しなさい。』と言った。目連が早速その通りにすると、目連の母親は餓鬼の苦しみから救われた。これが盂蘭盆の起源とされる(ただしこの経典は後世、中国において創作された偽経であるという説が濃厚である)。
これに対し、阿難の施餓鬼は「救抜焔口陀羅尼経」に依るものである。釈迦仏の十大弟子で多聞第一と称される阿難尊者が、静かな場所で坐禅瞑想していると、焔口(えんく)という餓鬼が現れた。痩せ衰えて喉は細く口から火を吐き、髪は乱れ目は奥で光る醜い餓鬼であった。その餓鬼が阿難に向かって『お前は三日後に死んで、私のように醜い餓鬼に生まれ変わるだろう』と言った。驚いた阿難が、どうしたらその苦難を逃れられるかと餓鬼に問うた。餓鬼は『それにはわれら餓鬼道にいる苦の衆生、あらゆる困苦の衆生に対して飲食を施し、仏・法・僧の三宝を供養すれば、汝の寿命はのび、我も又苦難を脱することができ、お前の寿命も延びるだろう』と言った。しかしそのような金銭がない阿難は、釈迦仏に助けを求めた。すると釈迦仏は『観世音菩薩の秘呪がある。一器の食物を供え、この『加持飲食陀羅尼」』(かじおんじきだらに)を唱えて加持すれば、その食べ物は無量の食物となり、一切の餓鬼は充分に空腹を満たされ、無量無数の苦難を救い、施主は寿命が延長し、その功徳により仏道を証得することができる』と言われた。阿難が早速その通りにすると、阿難の生命は延びて救われた。これが施餓鬼の起源とされる。
この2つの話が混同され、多くの寺院において盂蘭盆の時期に施餓鬼が行われるようになったといわれる。
●2008/08/14(木)・・・お盆二日目 父の病院へ
07:00- *墓参り(米 キュウリ)・松明かし*
15:00- *墓参り(お菓子 くだもの)・松明かし*
19:00- *松明かし*
父が発熱しました。37.5度です。辛そうです。
●2008/08/15(金)・・・お盆三日目
15:00- *墓参り(片付け)・松明かし*
19:00- *松明かし*
父の体温は37.3度です。辛そうです。
●2008/08/16(土)・・・父の病院へ お盆最終日(送り火)
10:00- *送り火(おにぎり等)* & 片付け
19:00- *松明かし*
父の体温は37.5度です。辛そうです。
夜、体温が40度になりました。
=
●2008/08/17(日)・・・近内教室レッスン 父の病院へ
□10:00- ピアノ(小5女子KT)
□11:00- ソルフェ(小5女子KT)
父の体温は40度です。かなり苦しそうです。
●2008/08/18(月)・・・父の病院へ
父の体温が38度から40度まで上がったり下がったりしています。肺炎です。
●2008/08/19(火)・・・近内教室レッスン 父の病院へ
□10:00- ピアノ(小5女子KT)
□11:00- ソルフェ(小5女子KT)
父の体温が38度から40度まで上がったり下がったりしています。
●2008/08/20(水)・・・父の病院へ
19:00- *松明かし*
父の体温が少し落ち着いてきました。意識はあります。
●2008/08/21(木)・・・夫と父の病院へ
父の体温が少し落ち着いてきました。意識はあります。
●2008/08/22(金)・・・浄土ヶ浜へ 父の病院へ
父の体温がかなり落ち着いてきました。意識はあります。
●2008/08/23(土)・・・父の病院へ 東京へ
父の体温は落ち着いてきました。意識はあります。
帰りのバスに乗る前に病院に寄りましたが、父が熟睡しているため起こさないで帰って来ました。
2008年8月 3日 (日)
企業秘密です
夏本番の暑さですが、皆様いかがお過ごしですか?
私はピアノの練習に邁進しております。 もちろん、忍法「虫メガネ暗譜の術」で(爆)、怒濤のような第3楽章「スケルツォ」を、先週末に飛ぶようなテンポで仕上げました。(驚) でも、実際の本番はゆっくり目でありながらスピードの感じられる演奏法でいきたいと思います。
その方法とは?
それは企業秘密です。(爆)
今週は、第2楽章「エレジー」を練習しますが、なにげにサックスの小串氏がこのエレジーを得意としていそうな予感がします。 私も可能な限り美しい音でメリハリを付けましょう。
さらに喜ばしい話しが! またまた父が年甲斐もなく、嘘のように(でも本当です!)どんどん回復して我が国の高齢化に拍車をかけています。(笑) 数日前から粥食になって毎日笑顔で入院生活を送っているもようです。(喜)
高齢化云々と言う前に、政府は、若者の就職難こそ何とかすべきではないでしょうか?
●2008/08/04(月)
知人ミュジシャンのブログから、どうやら彼は高価なラファンのフルート頭部管が欲しくてたまらないらしいのだ。
それに引き換え私のフルート!頭部管がどうのこうのというレベルじゃない。まずガシッと押さえないと音が出ないのを直さないとね。(なさけないね〜) タンポ取り替えようっと!
●2008/08/05(火)
毎日連続して忍法を使っていると、音楽家なのか忍者なのか判らなくなります。っていうか、その前に目が疲れます。腰も背中も痛くなりますし… 眼鏡がなくても可能な仕事ってないかな? もちろん音楽の仕事よりも楽しくなけりゃ〜却下するけど(爆)
なんちゃって! もちろん転職する気など全くなし(=_ー)ニィ 期待してくれた皆様、残念でしたっ!!(^○^)
目を休めるために、これから徒歩で買い物に行って来ま〜す。
ともかく腰の痛みを回避出来ないままピアノにカジリついてみた。新しい所には手つかず、でも、筋肉に負担をかけない楽な弾き方を発見した。(やった〜♪)
今日はもう寝よう・・・
2008年7月29日 (火)
宮古第一病院
今日は、岩手県では2つしかないリハビリ病院の職員募集のページをご紹介します。
http://miyakodaiichi-hp.or.jp/comeon.html
「宮古第一病院」は私の父が入院してしますが、たくさんの職員の熱心な看護・介護により父は回復してきました。今日から重湯の食事を頂いています。
一生懸命でありながら家族的で笑みの絶えない職場のようでチームワークが良く生き生きと働いておられるのが印象的でした。こんな病院が全国に広まればいいです。
写真は父の病室のある3階の七夕飾りです。
入院中の父は、どんどん回復して、昨日はとうとう重湯食がでたようです。
カテーテルの点滴、酸素吸入は離せませんが、こんなに現在の医療が進めば、少子化でなくとも高齢化が進みますよね。(笑)
わたしも父にみならって、どんな時にも諦めずに「生」を全うしようと思います。
2008年7月27日 (日)
父の近況
父は、とても回復して、ゼリーを食べられるようになりました。また、1分程度なら裸足で床に立つ事が出来ます。「宮古第一病院」という岩手県では2つしかないリハビリ病院に転院して1ヶ月半経ちますが、ほんとうに良かったです♪ 退院は来月になりそうです。
2008年7月 9日 (水)
2008年4月22日 (火)
今日は「よい夫婦の日」ということです
良い夫婦の定義って難しいですよね。
だって、幸せの感じ方は人によって千差万別ですから。
細かい事まで上げればキリがありませんが、
・価値観がほぼ一致している。
・何でも相談し合える信頼関係が築かれている、あるいは、そうなるために互いに努力している。
・互いに人生のパートナーとしての自覚と責任をもっている。
という感じでしょうか?
2008年3月15日 (土)
ドレスのアイロンがけ
夕べはベンベルグのズボンの裾上げと、コートのボタン付け替え、他のズボン2枚・シンプルなドレス6枚・コート2枚のアイロンがけをやりました。
気が付くと今朝でした。(ねむ〜)
折角アイロンがけしたのでシワシワでペッタンコになるタンスには戻しません。要するに階段に掛けっぱなし。(滝汗…)

コートもアイロンがけ。少しはヨレヨレじゃなくなった?
縞模様のはボタンを付け替えて明るいイメージに(どーだか 笑)
あと、今日は大きい衣装たちの修繕もしなくちゃです。ピンクとブルーは修理完了です。赤はいつになるかしらん?

え? ドレスを買えるくらいお金があるんだったら修繕に出せば?・・・って、それはお金持ちの話し。 大金持ちでも小金持でもない私は自分で衣装を洗ったり修繕するんですよ〜 だって、ドレスは仕事に必要だし、でも、ドレス買ったら当然、貧乏になっちゃうでしょう?(爆) 修繕費など浮かしてシッカリ食べないと元気にピアノ弾けませんものね。
2008年3月11日 (火)
梅の公園・みゆき宅の写真
楽譜書きでガタガタになった体調(と言っても、お腹をこわしてチョット吐き気がするだけ 笑)を戻しつつ、生徒さんのレッスン、確定申告書の作成、次のピアノの本番の準備を並行させてまいります。家事は勿論、ウォーキング、コレステロールのコントロールのための調理、殆ど使わない物の処分と部屋片付けの時間を捻出しながらです。
「洗濯」「殆ど使わない物の処分部屋片付け」は私の好きなジャンルですが、思うようにこの時間がとれないと非常にイライラしてきます。さて、早速ストレスを解消しなくちゃね。^^
そして、シッカリと本番の準備を!!
3/11(火)・・・ 青梅市 梅の公園へ
帰宅後、靴磨きと下駄箱の整理をしました。整然として気持ちいいです。 
2008年3月 3日 (月)
日本語、英語、ドイツ語
以前は夫がメールを使っていなかったため、夫と夫の知人との英文メールのやり取りを送受信していたものです。
ところが、最近、わたくし自身が日本語以外にも、英語、ドイツ語で文通する事になりました。
それにしても一気にメル友が増えたものです。(爆)
内容は省略しますが、昨日は慣れた日本語と英語のメールに返信し、今日は不慣れなドイツ語のメールに返信しました。(笑) いっその事ロシア語で応戦しようかとも思いましたが(嘘)、苦戦して素直にドイツ語で返信しました。ちなみにロシア語は全然解りません。
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前回の記事「進歩しない」にtomtomさんからコメントを頂きましたので、こちらにもご返事します。
=== tomtomさんのコメント ===
『人間の成長』という昔のブログを読ませていただきました。実は今日、ちょっと本棚の整理をしていましたところ、エーリッヒ・フロムの『生き るということ』(紀伊国屋書店)という本が出てきましたので、中をぺらぺらとめくってみました。私がサイドラインを引いている部分にこんなことが書いてあ りました。
「知るということは私たちの平生の感覚的知覚の欺瞞性に気付くことから始まる。その意味は私たちが見ている物質的現実世界の姿は<真に実在す る>ものに対応してはいないということだが、重要な意味は、たいていの人びとは半ば目ざめ、半ば夢を見ていて、彼らが真実で自明だと思うことの大部分は、 彼らが住んでいる社会の暗示的な力によって生み出された幻想であることに気付いていない、ということである。知ることはそれゆえ幻想を打ち砕くこと、幻想 からさめることに始まる。知ることは根元まで、ひいては原因にまで達するために、うわべを突き抜けることを意味する。」
私たち人間がちっとも成長しないのは、フロムが言うような、本当の意味での「知る」体験を蓄積していないからではないでしょうか。
=== みゆきのレスポンス ===
tomtomさん、
興味深いコメントをありがとうございます。
最初は難しそうで目をこすりましたが(笑)、もう一度、読み返したところ良く理解出来ました。
そして、流石tomtomさんだ!と思うと同時に、エーリッヒ・フロムの書いている事は至極当然のことだと思いました。
私は日頃、なぜ人は集団になって考えたがるのか?(別の言い方をすれば、なぜ人は他人に同調しないと安心して結論が出せないのか?)と思い悩みます。
まあ、社会では利害や目的を他人と共有し合い、バランスをとって巧く生きてゆくしかない場合が多いから仕方がないかも知れません。
でも、それだけでなく、「人が集団になって考えたがる事」と、(もちろん私も含めてですが)「人がその人の知覚し得る範囲内(守備範囲)でしか思考を廻らすことが出来ない事」にも関係があるのだろうか?と思ったりもします。
例えば、規則で○○と決まっている事柄があるとします。これを守らない方が自分たちに有利だし、他の人も守っていないから自分たちも守らなくても良いじゃないかという結論を、人はいとも短絡的に導き出してしまう事があります。(自分の守備範囲で考えた結果なのでしょう。)
何故、規則で○○と決まっているのか? 規則を守らなかった場合に、どれだけ他人に迷惑が及び、どれだけ他人を傷つける可能性があるか?、少しぐらいなら…を習慣化させてしまった後の結末まで見通す事が出来なければ( = これらの思考がその人の守備範囲を超えていれば)、人は、やはり、「このくらいの事は騒ぎ立てる程の事ではないだろう…」という甘い判断と行動に罪悪を感じることが出来ないのだろうと思います。
そして、過去・現在・未来にも、この甘い判断と行動の積み重ねが人間社会を蝕み滅ぼし兼ねない一つの要因となっている事に変わりないわけです。社会が滅びれば文化や芸術も滅びる事になってしまいますよね。
また、人間は自分の所属する組織を守る為に犯す罪を「自分勝手な行為」だと思わない傾向があります。そこに「組織の皆を守るため」という大義名分を掲げるからです。
日本が戦争をしていた時も、きっと、これと同じような理由で戦争は「悪」でも「罪」でもありませんでした。
しかし、その組織を守ろうとする行為が、その組織の何万倍もの人口を抱え、また、その組織を含む「世の中」を腐らせる原因になるのであれば、「世の中」にとって、その組織は有害であると言えます。
tomtomさん、
人間の知力の無さ・視野の狭さが、人間に自分勝手な思考や行動を促し、その結果、人間は いつまでも どこまでも 自滅の道を歩んで行くのかも知れませんね。
折角なので、この記事に頂いたコメントも転載します。
=== tomtomさんのコメント 2 ===
真の意味で物事を「知る」ということは、心の痛みを伴うものだろうと思います。なぜかというと、真の意味で物事を「知る」と、そのことを知らなかったこれまでの自分というものに対する批判精神が生まれるはずだからです。だが、凡人にはこれが不快な感情になるんでしょうね。
=== みゆきのレスポンス 2 ===
tomtomさん、
そうですよね。
真の意味で物事を「知る」ことによって得られる「素晴らしい何か」が見つけられない人には、それによって伴う心の痛みを「乗り越える理由」もないんですよね。
私自身も精進しますが、私の生徒さんたちにも、これらを見つけられる人間、視野の広い音楽家に育ってもらえるように尽力したいです。
tomtomさん、ありがとうございました。